李到玄(イドヒョン)牧師

1971年生まれ。
 2004年10月から市川福音キリスト教会と関わりを持ち始め、2005年からは協力牧師として働き、2007年からは、日本同盟基督教団に加入し、2008年からは、教会の主任担任牧師として働かせいただいています。
 2004年3月から、ツラノ海外宣教会の宣教師として、日本の地に遣わされ、同じ年の4月からは、千葉県印西市にあった「共立研究所」で2年間学ばせていただきました。M.A.課程でありましたけれども、学位は取っていません。当時は「M.Div.の学位があるので、M.A.の学位は要らない」、と思っていたのですが、顧みてみれば、「せっかく2年間勉強したのに、論文を書いて学位が取れたらいいのに」、と思うようになりました。
 宣教師としての立場と、一つの地域の教会の牧師としての立場の間、どちらを取ればいいのか迷っていた時期がありました。それが教会と関わりを持ったところから2007年3月までの間でした。しかし、日本と言う宣教現場の特徴を理解していくうちに、一つの地域教会の牧師と言う立場と、宣教師と言う立場が衝突するのではなく、二つの立場を持ってより効果的に宣教の働きができる、と言う思いにたどり着きました。正直、いろいろな面で重い責任感と過重な仕事の量のため、大変疲れる場面もありましたが、確かに、宣教師と牧師の立場は両立できるし、宣教の力を地域の教会まで流しとおすため、両者を担っていこうとした試みは意味あるものであった、と思っています。
 妻の呉銀柱(オウンジュ)師は、韓国では同じ神学校(総神神学大学院)を卒業し、今は3人の子ども(セム:男、高校一年生、ボミ:女、中学校一年生、ビト:男、小学校一年生)をともに育て、教会では協力教師として働いてもらっています。妻は、すごく明るくて積極的な面を持っていて、多少内向的な性格を持っている自分とは相性が良い、と思っています。これからも夫婦、また同労者として、共に歩む道を楽しみにしています。
 教会の牧師としての働きとともに、これからも担っていきたい、と願っている宣教の働きは、次のように三つのことです。①日本を中心とする宣教の地に、教会を開拓していくこと。②教育を通しての宣教の働き(クリスチャンスクール)。③最も小さい人たち(人身売買の犠牲者になる子どもと女性、難民問題、北朝鮮の地下教会など)のための働き。以上の働きをどうして担っていけるか、大変な戸惑いもありますが、神の御ことばによって与えられ、聖霊によって確かに自分のところに届いたことでありまして、ただただ、その教えと導きに従っていきたい、と思っています。
 どこまでいけるか、分からないところですが、これからも主に守られ、導かれつつ、敬愛する兄姉たちと共に与えられている道を、信仰を持って貫いていきたい、と願っています。
2017年10月14日

山口陽一牧師

  • 1958年 群馬県に生まれる。
  • 4代目クリスチャン。
  • 金沢大学、東京基督神学校、立教大学大学院に学ぶ。
  • 1985〜90年日本同盟基督教団徳丸町キリスト教会牧師
  • 93〜03年日本基督教教団吾妻教会牧師
  • 04〜12年東京基督神学校校長
  • 2011年より東京基督教大学院教授・大学院神学研究科委員長
  • 05〜18年日本同盟基督教団市川福音キリスト教会担任牧師、同教団理事
  • 18年より東京基督教大学学長、日本同盟基督教団市川福音キリスト教会協力教師
  • 男の子4人はほぼ巣立ち千葉県印西市に妻と二人暮し。
  • 趣味は山登り・街歩き・ジョギング・ふるもの。